奉納舞踊―Ngayah di Pura

数年前、プナブ(楽士)のたしなみ(?)として、踊りを習う決心をした。そして最初に挑んだのがバリス(戦士の踊り)これはバリの男の子が最初に習う、男踊りの基本であり、また、最初にガンサで習う曲でもある。私は今でもこの踊りが一番好きだ。

ガムランは踊りの伴奏、つまり、踊りのある曲では踊り手が主導権を握る。踊り手の動きによって、曲が速くなったり、強くなったり、止まったりして変化していく。踊り手の動きを太鼓奏者がキャッチして、ほかの演奏者に合図を送るという構造。つまり、踊りが分からないと太鼓奏者は務まらない。

特に男踊りは、単純なフレーズを繰り返す曲が多いが、繰り返す回数は踊り手次第、また細かい決めの部分もたくさん入るため、太鼓奏者は踊り手から目が離せない。逆をいえば、踊り手が合図を出さないと、曲が進んで行かない。そういうわけで、プナブとして勉強になると思い、男踊りを習うことにしたのだ。

んがっ、しかあし…女だてらに、しかもこの歳でバリスとは…当然、すぐに息が上がり、とてもついていけない、全然覚えられない、それは余りにも無謀な…と諦めかけていた時に、先生が私に投げかけてくれたことばが「セルサン―Sersan!」これは、serius(まじめに)とsantai(くつろいで)をつなげたもの。seriusは英語のseriousから来ていて、シリアスではなく、セリウスとつづりどおりに発音するようだ。

かくして、とうとう、恥ずかしながら舞台を踏ませていただくこととあいなった。バリではある程度習うと、先生に、オダラン(お祭り)で踊ってみないか、あるいは演奏してみないかと誘われる。オダランでの踊りや演奏は奉納であり、参加することに意義がある、したがって、私のような下手くそでも踊らせてもらえるのだ。

しかし、演奏ならともかく、踊り手として舞台に上がるなんて、それはもう、下手くそなりに腹をくくるしかない。踊る格好は少々ぶざまでも、プナブの意地がある!合図はちゃんと出すぞ!!(楽団の皆さま、どうか私についてきてください…)

バリスは3つの部分に分かれていて、最後の部分の頭では、踊り手は止まって音が鳴り出すのを待たなくてはならない。そして、そこで止まったとたん、動いている時には感じられなかった疲れがドッと噴き出した。(ああ、もうダメ、倒れる、早く音出してえー!)たった数秒なのに、とても長く引き伸ばされた時間。初めての体験で、力の配分など考える余裕もなく、最初から全力投球してしまったツケが一期にそこで回ってきたのだ。その後は傍目にも明らかに身体の動きが鈍くなった。

さすがに翌日は熱が出て一日寝込んでしまった。先生、ならびに楽団の皆さま、貴重な体験をさせていただき、大変勉強になりました。どうもありがとうございました。

バリス