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日本全国で鶴名が付いてる市町村名の由来などをまとめました。
市町村名 名  前  の  由  来
北海道
鶴居村
昭和12年の4月1日に舌辛村(現在の阿寒町)より分村し、2級町村制を施行しました。
その名のとおり特別天然記念物のタンチョウの繁殖地帯に(ちな)み、村名を鶴の居る村「鶴居村」としました。
青森県
鶴田町
慶安天正から慶長にかけての頃、当時この地に開拓の(くわ)を打ち込んだ草分けの人々によって、しかも鶴が降り立つという現象を称呼として名付けられた。『鶴田郷土史』によると「昔は群居せしものらしく白鶴、黒鶴を百姓どもは捕獲(ほかく)して藩公へ献上せる・・・・」とあるように鶴もタンチョウ以外他の鶴(ナベヅル)なども飛来していたと思われる。慶安4年(1651年)に鶴田村となり、昭和.16年に鶴田町となる。
山形県
鶴岡市
鶴岡市のある庄内地方は、最上川により二分されており、南に鶴岡、北に酒田の街があります。
鶴岡は古くは「大宝寺」と呼ばれ、武藤家の居城地とされていました。
慶長6(1601)年、関ヶ原の戦いで徳川方について功をおさめた最上義光が、この地方を与えられ治めることとなりました。慶長8(1603)年、酒田の港に巨大な海亀が這い上がった事を吉事とし、酒田の城を亀ヶ崎城とよぶようになり、これに対応し最上義光は大宝寺城を改め、鶴ヶ岡城と呼ぶようになったようです。鶴岡の地名は以上のように、鶴と亀の吉事にちなんで名付けられたようです。
埼玉県
鶴ヶ島市
遠い昔、脚折(すねおり・現在の鶴ヶ島市脚折町)の広い沼地に小高い島があり、そこに男松と女松という相生の松が生えていました。この松に鶴が巣ごもり、縁起の良いことが重なったことから「鶴ヶ島」と名付けられたと伝えられています。
石川県
鶴来町
(現 白山市)
鶴来町の由来は、昔、剱町となっていましたが、大火があり「町名が縁起の良くないのでは?」と考えられ、縁起の良い「鶴来町」と改名したと伝えられています。 現在は近隣の市町村と合併をして 「白山市」となっています。
京都府
舞鶴市
「舞鶴市」は、明治以前は、「田辺藩」と呼ばれていました。
天正8年(1580)、丹後国(今の京都府北部一円)が、織田信長の命により、細川藤孝・忠興親子の所領となり、宮津に本城、田辺(今の舞鶴です)・峰山などに支城を築き丹後を治めました。
このとき、舞鶴に造られたのが「田辺城」で、今も、城跡が残っており、城門なども復元されています。
この、「田辺城」の別名が「舞鶴城」と呼ばれていたそうです。
これは、細川藤孝が城を築く場所を探していたときに、「鶴」の舞い降りた所に築城したからという説や、お城の形が、「鶴」が羽を広げた形に似ていたからなどという説があります。
大分県
鶴見町
鶴見町の由来と言うよりは鶴見半島という名になった由来です。
1の説
 鶴見半島の形が上空から見ると鶴の形に見えるから
2の説
 半島先端部を鶴御崎と言いますが、そこに昔、大きな松の木がありそこによく鶴が留まって休んでいたため、鶴の見ることができる半島として鶴見半島と付いた
3の説
 半島先端部近くの集落に小さな池があります。そこに昔、鶴がよく来ていたので、鶴見半島となった いずれにせよ、鶴見半島によく鶴が飛来してきていたものと推測される説が多いようです。
鹿児島県
鶴田町
(現 さつま町)
説1
  大昔の鶴田は湿地が多く、川内川及びその支流など多くの川がくねくねと町内を巡っていた。 (かっ)ては、堤防とてなく、水の流に従って川ができているので湿地帯が多かったようで、そのような地形を「水流(つる)」とよんだが、水流田(湿地田)の所というのが地名の起こりという。

説2
  昔、湿地に多い地方であったのか、鶴の餌となるべきタニシやドジョウ、草などの種子が多かったため、鶴が飛来した土地だったのではないかとの説。しかし、鶴は渡り鳥であるし、集団的に飛来しやすく、広々とした土地でなければならないので、鶴の飛来したことからの地名は疑わしい。
 鹿児島県の地名の多くは、地形の状況から名付けられたものが多い。古くは言葉はあっても漢字に当てるのは遅かったと考えたく、水流田が鶴田に変化したものと考えたい。
以上、鶴田町史より・・・
現在は近隣の市町村と合併をして 「さつま町」となっています。