012 クラシックギターを始めたのは

中学校の文化祭で、ギターを抱えて舞台の上で青いスポットライトを浴び、みんなのヒーローになっている人達の姿に憧れ、ギターを弾きたいと思った。親に誕生日の贈り物にギターをねだった。当時、初心者が最初に挑戦する「小さな日記」や「心もよう」から練習。まずはAmのコードから。当時のヒーローは、井上陽水、かぐや姫、ディープパープルにレッドツェッペリンたち。高校3年生のとき、友人の誘いで初めて舞台に立つことが出来き夢はかなう。

そのころ「クラシックギターを学ぶとギターがうまくなる」などということを耳にしていたので、その気になって大学生になってからギター部へ入部した。そこで指導をしていた岡田一博先生と出会う。先生は口でこうしろと指示せず、音で示した。拍のとり方、メロディの歌い方、響きの変化。音楽用語を言葉で解説してくれるより、説得力があった。その響きは美しく、ギターという木の箱から音の宝石が飛び出してくるようだった。

音を学ぶときには耳を澄まし、心を開放して受け入れる。演奏するときも同じ。心を開放し、心にしたがって音を出す。自分に偽りなく演奏できたとき、音楽は美しく、胸の奥が暖かかくなった。体の真ん中からジワーッと満ちてくる幸福感を味わう。それは自分のなかに「何か大事なもの」があることを感じさせてくれた。音が認められると、自分自身が認められたように思えた。初めての体験だった。この時、自分のなかに自信が生まれた。今でもこの「何か大事なもの」を大切にしている。生活のなかで、これが脅かされるようなことはすまいと思っている。 同時にクラシック音楽は素晴らしかった。精神を高めるとか、魂を昇華させるという言葉を使うのもなるほどと納得する。

しかし卒業しふるさとへ帰ってから壁にぶつかる。先生について学んだのが4年間という短い期間のせいか、所詮この程度の能力なのか、基本的な指の技術や体力が十分に備わっておらずいろいろと苦しむ。

「美しい音」と、単純に理解していたが、音色にこだわり過ぎて、曲を構成するための他の要素への理解に欠けていた。美しいと感じる音や和音とは、構成とは何か。美しい音楽とは自分にとってどんなものなのかわからなくなった。表現しようとすることが、指に特別な負担をかけるように思えて苦しんだ。練習していても、この演奏では先生には「だめ」と言われるのではないか、と先生の影にもおびえた。「ギターを駄目にする」「音がわかってない」。学生のころ上級生から言われた言葉が頭をよぎった。それを必死で振り払おうとした。認めることが怖かった。こぎれいに音楽をまとめてやろうと、さもしい根性が生まれた。できないのは仕事が忙しいから。仕方がないと自分に言い聞かせた。

しかし、自分を偽ることは続けられない。とうとう上手に弾くのをあきらめた。1曲も、1フレーズさえまともに弾けなくてもいい、間違っていても、下手くそと思われてもいいから、自分が納得いく、好きな音で弾こうと決めた。 頭のなかで「こうしないといけない」などという考えは捨て、自分の出来る技術で、体が心地よいという音楽を求めた。爪を落として美しい音を捨て、好きなテンポ、好きな響きで、独りよがりと思われようと、自分の価値感に従う。

現在、その途上にあるわけだが、先生に教えてもらった多くの価値観を維持しつづけているか、失ってしまったのかわからない。今できることしかできない。それが今の自分のすべてだ。ギターで「何か大事なもの」を学んだことは、先生のおかげだ。目を向けるべきところ、耳を傾けるべきところへ、自分を導いてくれたことで、かけがえのないものを得ることができた。感謝あるのみ。

これからは間違いも認めながら、足りなさも自分の責任で進んでいく。


この文章は、ホームページを立ち上げたとき、まず書いておかなければならない文章として書いた。2001年ごろ。この体験が、自分を見つめさせ、考えさせ、芸術作品と向き合わせてくれることになった。


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