四重奏

ライブハウスの客は私一人だけだった。 年老いた四人は私を待っていたかのように演奏を始めた。 クラリネットが鳴ると会場が一瞬、ふわりと明るくなった。

彼らは戯れるように演奏した。 その響きは私を優しく包んでくれた。 あざやかさこそなかったが、 刻まれた皺の月日に磨かれたそのテクニックは、 余分も上足もなく音を奏でた。

時折、優しいまなざしをこちらに向け、 「君もそうだろう《と問いかけてくる。 私は「そうだ、そのとおりだ《と疑いもなく紊得した。

やがて演奏が終わるとあの親しげな目で別れを告げ去っていった。 家へ帰る間、私は彼らの笑顔に送られているようで嬉しかった。

今でも時々、あの演奏を思い出すと、胸の内に暖かいものが生まれて 懐かしさとともに満ち足りた気持ちになるのだった。(2019.5.01)

背負うべき荷

自分が背負うべき荷を他人に背負わせてはならない。そのようなことをしても背負ってはくれない。それをわからずにいると、世の中の上平上満をいうだけの人になってしまう。(2012.4.24)

ささやかで、はるかなもの

ヒメネスの「プラテーロと私《の「29 淵《から。

「~ささやかなものでありながら、はるかに遠くに見えるので、~《の言葉が印象に残る。確信と発見。

文章を読むとき、音楽を聴くとき、絵を見るとき、こういうことがいつまでも心に残っているように思う。

夏日に透ける新緑、金色に輝く雲、ピンクでも紫でもない色に染まる雲、朝の空に響くヒヨの声、母が台所仕事をしている物音、庭木を切っている父のしぐさの音、家の前を歩く隣人の足音、庭で日向ぼっこする車いすの女性の口元、もくもくと歩く浮浪者、夕日に照らされる誰もいない部屋。


過去へも未来へも通じる入り口。(2009.5.8)

楽譜は地図

楽譜は宝のありかを示す地図。地図を正しく読めば、宝がどこにあるかわかる。ただし、現実に宝を手につかむためには、現場に行くしかない。つまり実際の音を聴くしかない。 そして現場は、記号で表された地図と現実の状態との照合に常に惑わされる。また宝のありかまで行くための体力、精神力、技術、知恵を身につけなければならない。そしておそらく、インスピレーションと勇気も。(2012.4.5)

雲は孤独だ

雲は孤独だ。流されてやがてちりじりになって消える。自分もそうなるのか。だが雲はあとに青い空を残す。(2012.3.24)

誇り高き演奏

西洋のどこか、広場。霧雨がふっている。人がえりを立てて行き交うなか、どこからかヴァイオリンの音が聞こえてくる。音のする方へ歩いていくと、遠くに小柄なおじいさんがヴァイオリンを弾いているのがみえる。短い白髪で、細かいあたたかみのある織り地のスーツを着ている。ひとはほとんど無視して通り過ぎているが、たまに立ち止まって聞く人もいる。「こんな雨の中で・・・《と思いながら近づいていく。彼は無心に弾いている。そのとき気がついた。彼はぼおっと明るい光につつまれている。驚いたことにそこだけ雨がよけて降っている。なんて品のある演奏だろう。(2011.11.27)

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