004 サッカーの衝撃

日本のサッカーが「Jリーグ」となってブームとなり、バブル経済とともに狂乱が去った時、「横浜フリューゲルス」というひとつのプロチームが姿を消した。その時、動いたのは大企業ではなかった。チームを応援していたサポーターと呼ばれる市民が、日本中に出資者を募り、新しいチームを作ってしまった。かれらの熱意が外国の企業の注目をひき、スポンサーを得る。そして元ドイツ代表リトバルスキーが監督を引き受け、日本人初のプロサッカー選手奥寺康彦がマネジャーとなった。
 日本のプロスポーツは今でも企業に依存するところが多いと思うが、それでもこのことは、企業から与えられたサッカーチームというおもちゃを、市民がただ享受していただけではないということを示している。

ひとつのプロスポーツチームを資本家でないひとたちが中心になって作り上げたチームは珍しい。野球の広島が市民チームというが、今回、横浜には「横浜マリノス」という伝統あるビッグチームがすでにあった。野球で、現在のカープがあってもなお、もうひとつ自分達のチームを作ろうと誰がするだろうか。Jリーグではクラブ運営のために、市民、企業、行政の三位一体を唱えている。そのなかの最も弱い市民から立ち上がったところに、日本にも資本主導ではない民主主義があると感心する。現在「横浜FC」としてJ2まで昇格している。(2007年、J1に昇格)

アジア初、初2国共催、21世紀初となった日本と韓国でのワールドカップサッカー。このような世界規模の大会で、日本人が弱い代表を応援したスポーツは初めてではないか。かつては、バレーボール、体操、柔道、ジャンプ、スケートと、優勝や入賞が期待されるスポーツばかり。サッカーは4年前にやっとワールドカップに出場できた程度。今回も本番の決勝トーナメントでは1勝もできなかった。もしかしたら予選で負けるかもしれないチームにあれほど熱中したのだ。

オリンピックでは、メダルの取れない種目など目もくれない。相撲は横綱、野球はジャイアンツのお国柄。サッカーでも、同じように強豪国のブラジルの黄色、ドイツやイングランドの白い服を着て応援する人はたくさんいた。もちろん強い者に対する純粋な「あこがれ」であるが、「寄らば大樹の陰」の姑息さもぬぐいきれない。

しかし一方で、外国人が自国のチームを応援するように、日本人であることを強烈に意識し、弱くてもわが代表に一体感をもって、ゲームに一喜一憂した人たちも確かにいた。その人たちは、学校の朝礼台で見た頭の上にある「日の丸」でなく、心の中にある「日の丸」を感じていたはず。テレビ局やFIFAに踊らされたとしても、今まで日本人が意識しにくかった地べたの国際感覚をサッカーに感じ始めたと思う。

サッカーは世界で最も競技人口が多いスポーツだそうだ。ワールドカップの参加国数もオリンピックより多く、世界組織のFIFA参加国は国連より多い。こんなにまで普及するのは他のスポーツに比べて安上がりで、場所を選ばないからだろう。そして人をひきつけて離さない魅力は、足で蹴る興奮にあると思う。

足は人間で最も力の強い部分だが、日常では、歩くより他に何かをすることは少ない。何かを壊したり、ドアを閉めたり、雑巾がけをしたり、昔ならテレビのチャンネルを変えたりと、便利で役に立っても、暴力的であったり、品のない印象があって否定的な行為とされる。そんな抑圧された行動が公然と行われるのがサッカーだ。身体でもっとも力強く、野性的、本能的な部分を使って、意識的、創造的な事を成しとげるところに興奮が体を満たすのだ。

ヨーロッパで絶大な人気を博し、世界に広げ世界大会を開き、選手の獲得もオープンなサッカーには、西洋の植民地政策を感じる。一方、一国だけで完結し、外国には選手を仕入れるだけの場所としてしか興味を示さない野球は、アメリカの孤立政策を感じる。

西洋が植民地政策を始めた時から、世界は西洋化してきた。日本は前の世界大戦で直接戦って負けたアメリカとの関係が深く、影響も強い。でも同じ西洋化なら、広大な土地と資源を持つ多民族国家のアメリカより、長い歴史と民族意識を持ち、資源もさほどない小国から成り立っているヨーロッパを参考にする方が日本にはあっていると思う。

野球よりもサッカーに市民権を得てほしい。


/