ひとり言

地方議会のなぜ?

(自治日報抜粋 地方議会研究会代表・野村 稔)

.議員 なぜ議長辞任後も議員として在職しているのか。

.助言者 議会の母国である英国の下院議長は、議長を辞めるときは議員を辞めるときであるといわれています。このため議長経験者の議員はいません。我が国の場合、国会、地方議員とも議長就任後も議員として在職しています。特に議長の短期交代をしている地方議会では、前議長、元議長が多くいます。

 議会での最高位に就いた議員が議長を辞職したあとも、一議員として在職することはおかしな現象といえます。議員全員の中から議長適任者として選挙された議員が交代することは、適任でなくなったこと、また選挙した議員に眼力がないことを意味するとも言えなくもありません。前議長、元議長が多いのは、政治的な話し合いにより議長の短期交代をしていることに大きな理由がありますが、同時に議長経験議員が議員として在職することを禁止した規定がないことにも一つの理由があります。議長の地位の重要性や権威を考慮するならば、議長就任後は議員を続けるべきではありません。

 

.議員 なぜ議員辞職勧告決議は適当ではないのか。

.助言者 地方自治法は議員辞職勧告決議を規定していませんが、例えば議員に不祥事件がありますと、他の議員から辞職勧告決議案が提出されます。法律上認められた議案ではなく、事実上の議会の意思決定を求める議案です。事実上の問題であっても、議員には提案権がありますので、所定の要件を満たして提出されるならば、議長は受理する義務があります。

しかし、議員に議案提出権があるからといって、なんでも提案してよいものではありません。この一つが議員辞職勧告決議案です。当該議員が議員として適当か不適当かは、選挙した住民が判断すべきことです。選挙された議員が同じく選挙された議員についての適、不適を判断する権限はありません。それは四年毎に行われる選挙で、住民が判断すべきことであるからです。

また、@議員の任期四年は法律で保障されていること、A議会が辞職勧告決議案を可決しても法的拘束力がないこと、B当該議員が辞職勧告決議にしたがわなかったとき、議会の権威が低下すること、C不祥事件で逮捕された議員が議会の議決にしたがって辞職したとき、仮に将来無罪であることが確定した場合、議員の資格や名誉を回復させる手段がないこと等からも、議員辞職勧告決議案の提出には賛成できません。

不祥事件を起こした議員は、自らが住民代表の議員として適、不適のいずれかであるかを判断する必要があります。いわゆる政治的責任をどういう方法でとるかは、当該議員が決めることであり、議会や同僚議員が辞職勧告決議で議員に強要すべきことではありません。

議員辞職勧告決議案の取扱いをめぐって、会派間、議員間が対立し、議会本来の使命である議案の審議が停滞する事例も見られますが、これでは議会が住民の信頼を失うことになりかねません。

議員辞職勧告決議案は議会に関する問題ですから、議会運営委員会に付託されます。ここで提出者の説明を聞いた後、議会の議決事件になじむかどうか十分審査する必要があります。本人の弁明をはじめとして参考人の意見を聴き、議員辞職勧告決議の法的性格、妥当性等を当該議員だけの問題ではなく、歴史に残る議会の意思決定として適切であるかを掘り下げて論議することが求められます。

衆議院では、昭和57年不詳事件に関連して議員辞職勧告決議案が提出されました。付託された議院運営委員会は、昭和57年8月31日と同58年3月25日、学識者を参考人として出席を求め意見を聞いたところ、大多数の参考人は、衆議院の決議としてふさわしくないとの見解であったため審査未了に終わりました。

これで国会での辞職勧告決議の取扱いは確立したかに思えましたが、参議院は平成9年4月3日、友部達夫議員に、衆議院は平成14年6月21日、鈴木宗男議員に対し、いずれも議員辞職勧告決議案を可決しました。同じ国会でありながら、時間が経過すると、最も重要な議員の身分に関する取扱いが180度異なるのは理解できません。 


 

余滴


 最近、議会事務局から質問と質疑を区別しない議員や、その目的を理解していない議員がいるので困るとの声を聞く。特に当選一期の議員の中には、議員になればなんでも発言できると思っている人がいる。
 言論の自由があるのが議会だから、そう思うのは当然のことなのかも知れない。議会外で活動していたときには、制約なく発言した人に限って、議員になれば言論の自由がうんとあると錯覚する。実際には制約の方が多い。
 本議会では質問と質疑が区別されている。質疑は案件の疑問点を聞くこと、これに対し質問は疑問点を聞くと同時に、自分の意見を述べることだ。この区別は簡単だが、質疑では付随して多少の意見も出る。人の会話であるから注意しても出てしまう。多少は仕方ないとしているのが実際だ。
 質問でも疑問点ばかりを聞き、自己の意見をあまり述べない議員もいる。いわゆる追求型の議員には、自己の意見が少ない。質問で意見を述べるから政策の出し合いとなり質問の値打ちがある。留意すべきことは、議会での意見は理想を述べるのではなく、当該団体の行財政の状態から実現可能な政策の提言でなければならない。
 質問を通告すればなんでも発言できるのではない。特に意見は、自分が明日、長になっても実現できるものが中心であるから説得力がある。議長と長は別であるとして言いたい放題述べたら、その議員の宣伝と受け止められるだろう。
 それでは真の住民代表の議員としての発言ではない。このようなことを連想すると、議会での発言の重みがわかる。


 

この新聞記事を読んで・・・

 

 議会での発言の重み、それは新人のみならずすべての議員に言えることではないだろうか。言いたい放題、言ったもの勝ちといった雰囲気がなきにしもあらず・・・なのではと感じることはしばしばある。初心忘れることなく、自分の意見に責任の取れる発言を、慎重にかつしっかりと言うことが、議員に課せられた責務であろう。地道な勉強こそ、力になることは間違いない。

磯部 登志恵