ひとり言

第3回山口市議会議員研修会

平成14年8月20日 萩市民館大ホール

講師 総務省自治行政局行政体制整備室長

(兼)市町村合併推進室長   山崎 重孝

 

演題「地方分権の推進と市町村合併」

 

 

 

1.地方分権のこの10年のあゆみ−合併特例法の歩み

 

2.合併の歴史 

(1)昭和の大合併(昭和28年から昭和31年)の歴史的背景

(2)昭和の大合併の反省

(3)合併特例法の大改正−平成7年

 

3.地方分権推進法

(1)地方分権推進委員会

(2)機関委任事務の廃止−国と地方の関係の正常化

 @権限委譲の方法

 A住民に近い自治体の強化の必要性

(3)財政的支援 −合併特例債の改正

 

4.改正特例法の要点

(1)人的資源の活用

(2)財源の有効利用

(3)合併特例法の期限の意味

(4)法定合併協議会の標準的期間

 

5.地方財政制度の抜本的改革−小泉内閣の骨太方針

(1)交付税についての議論−経済財政諮問委員会

 @事業補正費

 A段階補正

 B留保財源率の見直し

 C交付税改革の背景

(2)片山試案

(3)小泉首相の指示

 

6.21世紀の自治体のあり方

1.地方分権のこの10年のあゆみ−合併特例法の歩み

 ここ1,2年合併論議か高まっているが、実はこの論議は10年前から始まっていた。

自分は平成7年合併特例法改正時の担当課長補佐でだったし、以後地方自治体を含めて様々な部署を経験して感じたことを述べてみたい。

 地方分権に関する様々な動きは、地方レベルでは多少あったが、国政レベルでは平成5年衆参両院でなされた「地方分権の推進に関する決議」から始まったといってもよい。現在の合併特例法の前身は昭和40年に出来たもので、この法律は市町村が自ら合併を決めたときに出来るだけその障害を除去しようとするものでり、国が積極的に合併を推進するといった要素は非常に少ない法律であった。これは10年の時限立法であったので、昭和50年にその期限が来た。単純延長をして昭和60年に再び期限が来て、多少の改正はあったが、基本的な性格は変えずに再延長した。

 昭和70年すなわち平成7年にその期限を迎えるに当たり、その中身をどのようにしようかと論議を始めたのが、平成5年であった。

 この時代がどういう時代であったかを多少振り返ってみると、平成4年当時は「いなざき景気」が続いているとか、ジャパン・アズ・ナンバーワンとか言われた時代であった。しかし後で検証してみると、すでにバブル経済は終わっていたが、平成5年当時はこれは一時の景気の低迷で日本の活力からすると、景気もすぐに回復するであろうと思われていた。

 だから平成5年特例法の改正作業中は、財政とか経済とかという考えはあまり頭の中にはなかった。細川内閣、村山内閣と続く中、地方分権がどのように進んでいくかはわからない状況であったが、地方分権を進めていかなければならないと言う雰囲気は世の中に満ちていた。そして当時日本を変えるのは、政治改革、地方分権、規制緩和といわれていた。 旧自治省においてもどのように地方分権が進んでいくかは、あまり理解できなかったが、市役所を強くすることが必要であることを強く認識していた。そのような中、商売の範囲が広がっている中で、青年会議所や商工会議所の中には市域を見直す雰囲気があった。 そこで平成7年の改正では新法に近いものをと、平成5年には考えていた。

それまでは国県の関与を少なくと考えていたが、自発的な合併を前提にしながらも、合併を積極的に推進していくような改正を目指した。

 改正前は市町村長が、合併協議会を設置する決断をするまでは、協議会は設置できなかったが、住民発議制度を導入して、市町村長がそこまで踏み込んだ考えを持たなくでも、合併協議会を設置できる道を作ったことも大きな改正の一つである。(1/50の署名)

 

2.合併の歴史 

(1)昭和の大合併(昭和28年から昭和31年)の歴史的背景

 当時国として合併を進めなければならない理由は、新制中学校を市町村で作る必要性があったからである。当時はまだ地方交付税制度はなく、地方財政平衡交付金制度が昭和28年まであったが文部省が補助金を出す制度もなかった。そこで町村の方から、国会へ合併を推進する法律制定の要請があった。

 これは相当大胆な法律で、法律で自治体の最低人口規模を8000人と定めた。どのように定めたかというと、中学校の9教科の先生が1人づつ、それに校長教頭を含めると、10人から11人の教師が1つの中学校に必要で、それに見合う生徒数を割り出すと、当時の13歳から15歳までの人口の割合を国全体でとってみて、計算をすると7000人から8000人の値が求められた。そして県の方へ指導をお願いしたり、住民投票をしたりして、1万数千であった自治体を3000強までにした。

 

(2)昭和の大合併の反省

 平成5年、6年に平成の合併をどうするかの議論の中で、昭和の合併の批判をかなり耳にした。昭和の合併のおかげで、経済発展に寄与したが、周辺部分が合併以前よりさびれてしまったという声も聞いた。昭和30年代、は地方交付税の割増率を人口8000人で止めていたが、高度成長経済のもと、過疎過密が日本の国の大きな問題になってきた。

 昭和40年代、50年代は過密であがった税金をスマートに過疎に流していくことをやっていた。ところが昭和の大合併で合併しなかった地域は役場という窓口があるから、そこへ流したが、合併したところはそうした窓口がなくなっていたから、そういう部分での不満があった。また当時は昭和のまちづくり等の考え方は薄く、中学校を作らなければならないのでとりあえず合併しようという雰囲気があった。そうすると、周辺部ではどういう風にまちづくりをするかという議論がないままに合併が進んでしまった結果、便利な方へ人口が移動するということが起こってしまった。

 

(3)合併特例法の大改正−平成7年

 このような反省をふまえ、平成7年の改正時の議論中で、一番大切なのは、合併前にどんなまちを作るのか徹底的に議論することであるとの認識がでてきた。

 そこでマスタープランである市町村建設計画をしっかりと議論してもらいたいと考えた。合併の是非を含め、将来のまちづくりを考えながらの合併議論が可能になる。こういう風なまちづくりには国としても応援していかなければならないと考えた。

 平成元年のふるさと創生事業以来、いろんな事業が各地で展開されてきたが、県内でも交付税に裏打ちされた地域総合整備債を利用しての事業が多く展開されてきている。

この地域総合整備債を合併にも応用しようと考えた。

 もう一つは、交付税の特例措置だ。本来は合併すれば地方交付税は減額される。平成7年までの合併については、激変緩和措置で 例えばA市、B市、C町が合併しなかった場合の地方交付税が、合併をして新たな市を作った場合の地方交付税を上回るときはその差額を5年間保証するという制度を持っていた。

 平成7年の改正においては、続く5年間について段階的に交付税を減額していく、すなわち10年間に亘って交付税について面倒を見る制度を作った。

 昭和28年から31年までの合併については、国地方共にたいへん困難があり、その記録も残っている。しかし地方分権を進めていく上で、現在1万に未満の人口しかない自治体が1530あまりもあり、その中に800万人が住んでいる状態をそのままにしておくことは出来ない。

 平成7年の改正を総括してみると、未だに地方分権は進展していないが、来るべき時代に大きなテーマとなる。そのために1歩踏み込んだ法律を作ったというものが平成7年の改正である。

 

3.地方分権推進法

(1)地方分権推進委員会

 今の状況を考えると、不十分であったが、平成7年には地方分権推進員会が出来た。ここで具体的に地方分権をどうするかという議論が行われた。そこでのテーマを一言でいうと「国と地方の関係」を正常化しなければならないということであった。すなわち「上下・主従」の関係でないことを直す必要があった。

(2)機関委任事務の廃止−国と地方の関係の正常化

 このことについて、具体的には機関委任事務を止めるということにつきる。機関委任事務とは戸籍の処理事務を例にとると、この事務処理について市町村長は、自治体の長としてではなく、法務大臣の部下として仕事をすることである。

 どの役所においても上司は部下に命令を発して仕事をさせる権限があるが、この関係が平成12年4月までは国と地方にあった。これを包括的指揮監督と称し、国から通達が来ればそれに従わなければならない。従わなければ、裁判によって場合によっては法務大臣が直接仕事をするという仕組みまで持っていた。

 例にあげた戸籍という事務や国政選挙事務は地域によって事務方法が変わると困る機関委任事務として「まとも」な事務であるが、当時は都道府県の事務の7割、市町村長の5割の事務が機関委任事務といわれていた。戦後各省庁は機関委任事務制度が便利なので、多少統一性の必要な仕事は次々機関委任事務にしてきた。

 自治省については、地方分権を推進する立場にあったが、機関委任事務自体を悪いとしたことはなかった。自治省の考え方の基本は、国が直接仕事をするのではなく、むしろ例えば山口県知事に仕事を委任した方がいいのではないかという考えを持っていた。知事はどの事務が機関委任事務かどうかを考えることなく、県民にとって一番いい仕事をするはずであるというのが理由である。

 市役所についても同じことがいえる。そうであるから、機関委任事務を止めると議論をしたことはなかった。分権委員会でも同じような主張をしたが、委員会で、自治体では機関委任事務を固有事務のように仕事をしているのか、それとも固有事務で出来る仕事を機関委任事務のように仕事をしているのかどちらかと問われた。

 自分自身県の仕事をしているときに、議会等での答弁に際して、その職の権限で出来る事項についても、例えば国を引き合いに出し「国のご指導を得ながら」とか「他県の例を参考にしながら」といった留保をつける癖が間々あった。

結局こういうもたれあいの構造が地方分権に繋がっていないのではないかという議論になっていった。

 国会答弁でも同じことがいえる。すなわち権限があるにもかかわらず、断定を避け「地方と十分議論する」という言い方となる。

 県に行けば「国と相談する」、国に行けば「県と議論する」というのがもたれ合いの構造である。 こういうことをふまえ、分権委員会は機関委任事務を廃止すると決定した。

 これは各省庁、特に旧内務省系、建設省、厚生省、自治省内部では大騒ぎになった。というのはこれらの省庁は県庁を通じて仕事をすることが基本となっていたからだ。戦前は知事は公務員であったが、戦後知事が選挙で選ばれるようになって、戦前のシステムを維持するために機関委任事務を創出した。それで旧内務省系の役所はどうやって仕事をしていいかわからなかった。

 結局どうしたかといえば、市町村でする仕事はすべて市町村の事務にする。また都道府県でする仕事はすべて都道府県の事務にする。しかし事務には2通りあって、比較的国との関係が強いものと、そうでないものがあり、前者を法定受託事務、後者を自治事務とした。しかし両者共に市町村の事務であり、基本的に議会の権限が及ぶ。今までのような包括的な命令ではなく、この事務については助言は出来るけど指示は出来ない、この事務については協議は出来るけど同意は出来ないというように事務については国からの関与あるいは、県からの関与は法律ですべて決めるということである。

 さらにこのルールが守られない場合は国地方係争処理委員会に訴えることができ、最終的には提訴して高等裁判所で争うことも出来る。県と市町村も同様で、県の不当な関与については自治紛争処理委員に訴えることが出来る。

 

@権限委譲の方法

 分権委員会の中では、人口300万人の横浜市と人口200人の富山村とが同じルールでの自治体運営はいかがなものかという議論があった。旧自治省内部ではこういう議論にならないようにしようと考え、日本は幸いに都道府県と市町村の二層であるので、今回の分権ではまず都道府県に権限を降ろそうということになった。 そして準備の出来た自治体、例えば政令都市、中核市、特例市等に県の権限や財源を降ろしていくということではどうかということになった。

 

A民に近い自治体の強化の必要性

 今回の地方分権は野田元自治大臣のいうごとく「レールの切り替えポイント」である。その時点ではわからないが、ずっと進んでいくと分権ということが理解できるという考え方だ。ただこのことは非常に理解しにくいので、霞ヶ関が決めるのか山口県庁が決めるのかの違いでしかないといわれた。地方分権ではなく「官官分権」ではないかともいわれた。

 結局住民にとっては、市役所がどこまで仕事が出来るか、あるいはどこまで自分で考え決定が出来るかにつきる。

 自分の経験から、市役所と県庁との仕事のやり方が違うと思い至った。市では住民との距離が近いので、議員と市長が住民のニーズをくみ止めて仕事をしていく。この場合国の意見は聞くが、ニーズに合わない部分は無視する傾向が強い。

 県庁の基本的な考え方は県土の均衡ある発展をいかに担保するか問うことである。県は歴してな背景から、各省庁とのつながりが深いので、その意向を各部が咀嚼しながら、県知事も交えて政策を決定していくことが多いように感じられる。

こういったことを考えると、住民に一番近い市役所や市議会を強くするといったことが必要になってくる。

 

(3)財政的支援 −合併特例債の改正

 地方分権推進法の中に合併特例債の改正を入れた。その内容は市町村の応援の仕方をより強くしよう、自発的な合併を決めた場合、まず第一に交付税の特例措置を思い切って5年間延長した。二点目は合併特例債である。これは法律的に根拠のある起債で、過疎債と同じようなものである。事業費の95%の起債を認め、返済時にはその70%を交付税で面倒を見るというものである。

 あわせて地域審議会を作った。これは合併をすれば周辺部は取り残されるのではないかという声に応えたものであり、合併した後にも審議会を作りまちづくりを具体的に考えていくシステムである。

 

4.改正特例法の要点

(1)人的資源の活用

 こういう意味で平成11年8月から合併特例法は新しいシリーズに入っている。そしてその時に各県に合併の基礎となるいくつかの合併パターンについて作成するよう依頼した。拘束性はないが、こういう要項に基づいて各県では合併議論が進んでいる。

なぜ合併すれば市役所が強くなるのか。

 一つは人材である。小さい自治体の職員は優秀であるが、一人で何役の仕事をこなさなければならないような状況である。こういう人材を結集することがまず1番。そして役割分担をきちんとすればもう少し深い仕事が出来るようになる。役所の職員は人口に比例するので、規模を拡大することで、市役所で企画を立案し、市役所で実行できるようになる。

もう一つは財源の問題である。

 

(2)財源の有効利用

 例えば10億くらいの歳出規模の自治体では2億くらいの事業が出来る、30億くらいの規模では約6億くらいであるが、40億の規模では8億くらいの事業を視野に入れ、優先順位を考えならが仕事が出来る。

 現在3218の市町村の中で1万人以下の自治体が約50%、2万人以下が約70%、3万人以下が約80%を占める。こういう状況の中これからは県がバックヤードに入り、市が前にでてくる仕組みを作ることがこれからの分権の課題であると思う。

 

(3)合併特例法の期限の意味

 平成12年12月に閣議決定された行革大綱の中で市町村合併関係についてみると、合併推進の基本的な考え方として、与党行財政改革推進協議会における「市町村合併後の自治対数を1000を目標とする」という方針をふまえて、自主的な市町村合併を積極的に推進し、行財政の基盤を強化する、とあり、国、都道府県、市町村が一体となって、市町村の合併の特例に関する法律(昭和40年法律第6号)の期限である平成17年3月までに十分な成果が上げられるよう、市町村合併をよりいっそう強力に推進する、ことが決定された。

 平成7年に改正された合併特例法が10年間の期限を17年に迎えるが、強力な財政措置をして、合併の荒波にこぎでる市町村を応援するための法律はその圧倒的な破壊度からいっても一定の期限を切らざるを得ない。ということはここまでしか財政措置が出来なということである。

 

(4)法定合併協議会の標準的期間

 次によく聞かれることはもう時間が残されていないということであるが、平成の初めに合併をした自治体に集合してもらって、合併をどのようにしてやったかということを調査した。ここで合併をした自治体は、様々な前例を集めて手探りで合併を敢行していた。これらの自治体の聞き取り調査から、合併に要する時間を出してみたのであるが、この結果合併のテーブルについて真剣に議論を初めて22ヶ月必要であろうということになった。 そうすると逆算すると、来年の5月くらいがいっぱいとなる。そこで今年と来年は正念場として、合併の是非も含めて議論する場である合併協議会の立ち上げをお願いしているところである。合併協議会は要するに、10年15年のまちづくりや国の動向県の考え方を加味しながら合併について議論をする場である。

 

5.地方財政制度の抜本的改革−小泉内閣の骨太方針

 もう一つの議論は昨年6月に閣議決定された日本の社会の構造改革、いわゆる小泉内閣の骨太の改革の基本方針である。

 ここには従前の均衡ある発展とは多少毛色に違う部分がある。地方自立・活性化プログラムとして個性ある地方の自立した発展と活性化を促進する、あるいは受益と負担の関係を明確化する、団体の規模等に応じて仕事や責任を変える仕組みをさらに検討する、また地方財政にかかる制度の抜本的改革では、自らの選択と財源で効率的に施策を推進する方向に、あるいは地方交付税を客観的基準で調整する簡素な仕組みというような部分がある。

 

(1)交付税についての議論−経済財政諮問委員会

@事業補正費

 経済財政諮問会議で交付税についても、3点について議論があった。

 第1点は事業費補正の問題である。地方交付税の中には客観的な面積とか人口とか道路の延長とかそういうことで決まる部分が多いが、事業費補正とは、いうなれば仕事をすればするほど交付税が増えるという制度である。一番例に出されたのが地域総合整備債である。北九州市の門司のレトロ事業は、運輸省の港湾整備事業と地域総合整備債をうまく利用した例である。これにより現在は年間の観光客が200万にを越えるくらいになっている。

 具体的には、まず借金をして、それでまちづくりをして、その一定割合の最高55%を別枠で交付税措置をするという制度である。これは補助金という形ではなく、自分たちで知恵を出し、その見返りが交付税で措置されるという大変やる気のでる制度であった。

 しかしこれについて批判が起こった。例えば今市に1億円の資金がある。これを福祉に使うのか、道路に使うのか、コンサートホールに使うのか、というときに市長は議会や市民のニーズの一番高いものに使うはずである。

 今回批判を受けたのは国庫補助制度とか、あるいは事業費補正とかが極端になった場合、本来市民が欲していないところにその財源が流れてしまうおそれがあるというものであった。例えば福祉、道路、コンサートホールの中で、コンサートホールを造るときだけ事業費補正があるとなると、担当者は補助金や交付税措置がある方で仕事をやり、手持ち資金の何倍もの結果を出したくなることは当然である。

 そうなると優先順位が2番くらいであっても、そちらの方を優先することになる。こういう仕組みが自治体の自己決定権を害するのではないかということを言われた。それで今年から地域総合整備事業債は基本的に廃止した。そして後継として、地域活性事業債を創設したがハコものは原則対象外で、充当率は75%、元利償還金の算入率は30%しか措置しないということにした。今後はハコものについては自らの財源・借金で、本当に必要かどうか考え判断しなければならなくなる。

 

A段階補正

 第2点は段階補正である。これは人口が小さければ小さいほど交付税を割り増しして配分するという仕組みである。例えば100万人都市の市長の給料と10万人都市の市長の給料はほぼ同額であるので、段階補正は当然ではあるが、やりすぎではないかという批判がある。以前は8000人で割り増しは止まっていたが、過疎過密の問題で、結果的には人口の少ない町村が交付税は豊かになってきた。

 そこで3年前から第1弾人口4000名のところで割り増しを止めてしまうということを徐々にやってきている。具体的に4000名のまちでは3年前に比べて5500万円くらいの減少になっている。

 第2弾として、3年間かけて人口10万に未満の都市について今年から、割増率について多少変更する。交付税は人口10万人のまちを基準にして、小学校・中学校等の設置あるいは道路の延長は何キロか等多くの基準を勘案して交付税を決定する。

 人口10万人以下の自治体は規模の不利益がでるから、割増率をかけている。これについて従前の全団体の平均を基礎として割増率を算出する手法を改め、より効率的な財政運営を行っている上位3分の2の団体の平均を基礎として割増率を算出することにした。

 日本国中どこの小中学校でても、同様な教育を受けられることを可能にする交付税制度は是非守っていきたい。 そういうことでプログラムの修正を現在やっている。

 

B留保財源率の見直し

 第3点目は留保財源率の見直しである。

 ある自治体で今年100単位ほどの仕事をしなければならないとすると、これを基準財政需要額という。これに対してどれほどの収入があるかを計算する。これが基準財政収入額であるが、その差を交付税として措置する。これが現在の交付税制度の基本である。

 基準財政収入額については、それを全部カウントするのではなく、市町村についてはその75%だけを算入する。基準財政需要額については、全国一律の施策を推進するために、例えばその都市の特色ある施策についてはカウントされていない。そこで残りの25%部分でその地方の特色ある仕事をするというのが交付税の仕組みである。

 これについて都市部の自治体から批判がでた。例えば観光や産業を盛んにして税収を増やしても25%しかないのであれば、努力をしなくてもよいという考えがでてもおかしくない。そこでこの25%部分を例えば30%に上げていくという考えを持っている。

 これは自治体の収入部分のカウントを少なくして、自由に使える部分を多くしようとする考え方だ。しかしそのままであると、交付税が増えてしまうので、需要額の中からもはやその中に入れなくてもよいものを削減する。そうすると税収の上がらない自治体は交付税が削減されということになる。

 このことについても、自治体の自立を促すことになる。

 以上の3点について、取り組みをするということである。

 まず県の方から取り組みを始め、市の方へ移行するが、いずれにしてもこれからは税収を上げることが必要になってくる。

 

C交付税改革の背景

 このように交付税についての議論がでてきた背景には、交付税の原資問題がある。現在の交付税の総額は約20兆円である。本来交付税というのは、国税の一定割合を資源にすることが決められていて、これを体力ベースというが、昨年はこの体力ベースが12兆数千億円しかなかった。このギャップを埋めるために交付税特別会計が民間から借金をしている。ということは今市町村に配分されている交付税の中には本来の体力ベースの部分と交付税から返すことを約束したものを先食いしている部分がある。昨年からは赤字地方債ともいえる臨時財政対策債を起こしてもらっているが、これの元利償還金は100%基準財政需要額に算入される。

 7月に交付税の決定があったが、交付額が減っている。理由の一つは公共事業のカットに伴う交付税の減額、もう一つは赤字地方債に回っている部分がある。 交付税制度の今後の課題は20兆円と12兆数千億円のギャップをどうしていくかだ。

 

(2)片山試案

 今年5月に地方財政の構造改革と税源委譲について片山総務大臣から試案が出された。

現在の租税収入は国税が3地方が2の割合になっているが、最終的な支出は国が2地方が3の割合である。このギャップを埋めたいというのが長年の地方公共団体関係者の悲願である。片山プランはまず国と地方を1:1にしようということを提案した。

 国税や地方税が伸びている時代であれば、伸びた分を地方に渡していけばいつかは1:1になる。しかし国地方共に税が減っていいる中で、1:1を実現しようとすると大きな改革が必要となる。

 片山大臣の提案はまず国庫支出金 を5.5兆円削減する。すなわち5.5兆円を霞ヶ関に集めるのではなく、地方税で取れるようにするということである。

 そのためには、国庫支出金を5.5兆円削減し、その削減した分を所得税から3兆円、消費税から2.5兆円委譲する。

 そうすると豊かなところに多くの税金が集まるので、地方交付税でそれを調整するということになる。

 

(3)小泉首相の指示

 これについて小泉総理から指示があった。それは補助金と交付税と税源委譲を三位一体で検討して1年以内に改革案をまとめよということであった。

 今年の10月までに、地方分権推進会議から5.5兆円の補助金整理だけは出せとの指示があった。これはなかなか困難である。国県市町村のラインの中で、きちんと仕事をしてもらうためにお金を渡す。各省はそうはいってもそう簡単にこの仕組みは止められないとの主張をしている。というのは県の側にも市の側にも、このお金はどういうところに使うということをきちんと示してもらっていた方がよいという考え方がある。

 財務省の考え方は、もし5.5兆円が削減できるのであれば、削減したままにしたい。

これだけ国債がある中、国債の償還分もきちんとしなければならない。それで地方に回す分を少なくして国債の償還分に充てたいという気持ちがある。

 こういう様々な理由で、国から地方への税源委譲は、地方公共団体等の応援がなければもくろみ通りには達成できない。

 財源の部分で1年間かけてこういうことをやってきたい。

 

6.21世紀の自治体のあり方

 こういう様々な取り組みで目指しているものは何かといえば、自立できる自治体ということである。自分の所の税収でほとんどの事業は出来るが、足りない部分を交付税で補うという本来の形が必要だ。そのためには ある地域において共同して仕事の出来る単位を市町村合併によって実現して行きたいと思ってる。

 頭に入れておいてほしい数字がある。それは少子高齢化についてであるが、合計特殊出生率は平成4年には1.57であったが今年は1.33と低下している。2.01を下回ると人口が減少すると言われている。今年の厚生労働省の人口推計によると、1995年と2030年を比較すると6%減であるということだ。東京、大阪等の大都市においては人口も横ばい状況でであろうが、平成7年、あるいは平成12年の国勢調査で人口が減少している地域は大変であろう。団塊の世代が引退したときに、受益と負担をどうするか、セーフティーネットをどうするかが、大きな問題となってくる。

 例えば介護保険の問題は財政問題でもあるが、要支援と要介護はサービスの内容が全然違ってくる。こういうサービスがきちんとされているのは、住民に一番身近な市役所がそれを担っているからであると思う。一人一人に目を届かすことが必要な高齢化社会のセーフネットは県ではなく、市役所が担うべきである。その時に2030年次のセーフティーネットはいかにあるべきかは今から考えておく必要がある。

 構造改革、地方分権、少子高齢化を考えると、市役所が政策を決定しどのように実行できるかが、21世紀に必要なことである。

 現在の市町村の区域は大体昭和36年くらいまでに決まっているがふつうに電話や自家用車かある時代ではなかった。21世紀に市役所中心に合理的に資源や人材を結集しようとしたときに、現在の交通機関や通信手段を考えて、どういう区域が市民のためになるかを考えることが必要だ。

 ワンセット市町村という言葉があるが、市町村がバラバラであると、同様な施設を各市町村ですべてそろえていくという傾向がある。決算統計で見ると、人口2000名くらいの自治体の一人あたりの歳出額は約150万円くらいであるが、10万人の市は30万円くらいである。この差は規模の利益が出て、固定的な経費の割合が低くなる、またワンセットでなく、施設の有効的な利用が出来るという面もある。

 21世紀は都市間競争の時代であり、バランスの取れた発展よりも、どういった都市にしていくかという突破力あるいは発想力が市役所に求められている。

 合併してもすべてバラ色とはいかないが、合併によるデメリットどう克服するか、あるいはメリットをどう増幅していくかが合併協議会に求められる。

 このためには例えば合併後においても、市長部局に合併について考える部署を置いて、まちにどのような色を塗るかを考えてもよいのではないか。役場の位置にしても支所の位置によっては当然不便になることもあるので、こういうことも配慮すべき。

 昭和の合併では中心部だけが発展して、周辺部が寂れたことが実際に起こったので、平成の合併においてはそういうことが起きないように、合併協議会で十分な議論他必要である。地域の歴史や文化については例をとれば、北九州市の旧5市の歴史や文化は未だに受け継がれており、夏には旧5市の祭りが一堂に会して競い合うといったイベントも開催されている。コミュニティーの問題についても、北九州市の場合はセンターが小学校区にあり、福祉も教育も保健もいろいろことが出来るようになっている。ここを強化していこうとしている。そして本庁と現場に人を貼り付けようとしている。コミュニティーについては、旧の字や大字が重要になることも認識すべきである。

 財政状況の差についてはこれは認めざるを得ないが、これを議論するときに現在の財政状況の前提の認識が必要である。例えば下水道普及率が非常に高い所は借金があり、低いところは当然その借金は少ない。しかし今後のことを考えるとき、これを前提にしなければならないということだ。

 プライマリーバランスも考えなければならない。すなわち借金の返済のために借金をしなければならないかどうかということである。

 こういうことを考慮に入れ、新市計画を立てることには併せて財政計画も立てるべきである。また合併特例債は万能ではなく、さらに30%の負担はある。合併特例債バブルにするかしないかは、何が必要なのか何を作れば良い町が出来るかの議論が必要である。

 丹波篠山市の火葬場の建設、あるいは特急が停車するようになった駅前広場の整備は良い例である。不要な施設を特例債があるから作るというのは愚の骨頂である。

 27次地方制度調査会において、小規模自治体あるいは中規模自治体、10万くらいの自治体をそうするかの議論の中で、当然県の役割・区域についての話もある。

現在法定協議会あるいは任意協議会の940市町村で設置されているが、是非協議会を立ち上げて議論してほしい。