環境民生委員会視察報告
 
 平成13年10月10日から12日まで、環境民生委員会で新湊市と茅野市を視察した。今回の目的は、これからの方向性として非常に厳しくなる自治体病院のあり方を視察したく、様々な面で調べたところ、ちょうど光市の病床数と同じ規模でもあり、自治体病院関係の視察候補地にも上がっているところを選んだ。また、新湊市の近隣で視察候補地として上げられた茅野市は、特に環境問題に力を入れている「美サイクル大作戦」が、光市に少しでも取り入れられることがあるのではと思い、視察市として選んだ。
 
新湊市
 街の概要
 
 新湊市は、特定重要港湾伏木富山港「新湊地区」(富山新港)を擁し、環日本海交流の要所となっているだけでなく、三大都市圏とも密接につながり、今後さらに北海道及び九州との中継地として、いづれも交流し発展できる「扇の要」のような位置にあります。
位 置 / 北緯36°46′東経137°05′
人 口 / 37,752、男18,161人、女19,591人(2000年3月1日現在)
世帯数 / 11,286世帯(2000年3月1日現在)
面 積 / 32.36ku (国土地理院)
市の木 / 松  
   樹容が雄大で美しく、長寿や節操を印象するものとしてふるくから尊ばれてきた。市の花 / ケイトウ
   夏、秋に、赤または黄の小花を鶏冠状に多数つけます。
   花言葉として、無窮、不死、非凡がある。
観光名所 / 海王丸パーク、内川に架かる個性的な橋、放生津八幡宮、専念寺傘松、足洗潟公園
キャッチフレーズ / あゆの風 であいの風 新湊
  「あゆの風」が新湊に吹く  昔も今も変わらない「あゆの風」は、時代を超えた贈り物。ほのかに歴史とロマンが漂う。
  今、あらたに吹く「であいの風」。交流がめばえる海洋文化都市を目指して、ひときわ力強く・・・・・・。
  活気ある新湊は、であいがいっぱい。
 
市 の 沿 革
 
 本市を含む周辺の地域は、比較的早くから人々が定住したところである。古墳時代のころ、この地域は中央の統一圏に組み込まれ、5世紀の半ばには、大和朝廷により「伊弥頭国造」(いみずのくにのみやつこ)が置かれていたようであり、この伊弥頭(いみず)は射水(いみず)と同字音である。伊弥頭は、現在の射水郡だけでなく、新湊市、高岡市の一部、氷見地方を含んでいた。
 その後、越中の国府が今の伏木台地に置かれ、その統治下にあった。国府から眼下に見下ろす風光明媚な新湊の姿は、大伴家持の歌によって都にも紹介され、「奈呉の江」(なごのえ)や「奈呉の海人」(なごのあま)は、平安時代以降の都びとの心を誘う歌枕となった。
 中世に入ると、政治の中心は、この二上山ろくから放生津へと移った。ここは、水郷地帯、放生津潟、放生津川(今の内川)、放生津湊を配していて、要衝の地であり、交通運輪の要地でもあった。名越時有(鎌倉時代の越中の守護)によって放生津城が築かれたのも、このころである。
 近世に入って、政治の中心は富山や高岡へと移った。しかし、広大な放生津潟の開拓により、周辺に農業集落が形成され、これら射水地方の米穀の集散地として栄え、廻船業も発達し、放生津漁場も活況を呈し、新湊は大きく栄えた。こうして天保8年(1837年)には、当時の中心地であった放生津に三ヶ新、六渡寺、中伏木の各村を併せると、15,000人を超す大きな町となっていた。
 そして、明治4年(1871年)に、放生津町、荒屋村、四日曾根村、三ヶ新村、放生津新町、長徳寺村、六波寺村と伏木村、古国府門前町、古府町が合併して新湊町が誕生した。以来、明治・大正両時代にわたって、純然たる水産と商業の町として発展を続けた新湊は明治11年の調査では、人口19,283人、戸数4,384戸で、全国第44位の都市であった。しかし、その後、社会経済の発達、北陸本線や国道8号などの主要交通網からはずれ、相対的に地位が低下する中で、昭和17年に新湊町は高岡市に編入された。
 昭和26年1月、戦時中に編入されていた高岡市から分離独立し、同年3月15日、市制を施行、昭和28年には付近7か村を編入して、人口5万人を擁する県下3番目の都市となった。
 昭和36年には、市域の中央部に位置した放生津潟とその背後の広大な農地を利用して富山新港及び臨海工業地帯の造成事業が着工され、昭和43年4月、富山高岡新産業都市の中核として日本海側最大級の港湾が華々しく開港した。
 富山新港は、木材の輪入取扱いを中心に発展を続け、昭和61年6月に全国19番目の特定重要港湾に指定された。その後も、航路の拡幅や北埠頭の築造などの施設の拡充が行われるとともに、ロシア・韓国・中国東南アジアなどと定期コンテナ水路が開設されるなど環日本海時代にふさわしい港湾として着実に発展してきている。
 さらに、恒久展示されている帆船海王丸を中心として、海のプラザ・日本海ミュージアム構想に基づく施設や、公共マリーナ・人工海浜などの整備が進められ、また、東西埋立地を結ぶ新湊大橋(仮称)の建設に向け本格調査が行われるなど、東西埋立地の土地利用を中心に海岸域の開発整備には市の将来が期待されている。
 一方、陸の玄関口として「カモンパーク新湊」(道の駅、博物館、農村環境改善センター)が整備され、21世紀に向けた新しいまちづくりも、積極的に進められている。
 
 
 市民病院施設内容
 
 ふれあいの温かさ 健康のよろこびを地域に根ざす新湊市民病院
 平成7年度から増改築事業を進めてきた当病院は、平成10年度に12診療科、病床数200床の総合機能を有する射水地区の中核病院として竣工した。
 その後、平成12年1月には政府管掌健康保険生活習慣病予防診断実施機関に選定、翌2月には指定居宅介護サービス事業者及び居宅介護支援事業者に指定されるなど、企業の方の健康診断や介護保険にも柔軟に対応する体制が整った。
 さらに、平成12年4月からは外来診療科に放射線科を加え13診療科体制とするなど、ますます病院機能の拡充に努めている。
 
施設概要
敷地面積 16,249u
構  造 病棟 鉄骨鉄筋コンクリート3階建て
診 療 棟  鉄筋コンクリート3階建て
診療科目 内科、外科、整形外科、小児科、眼科、皮膚科、脳神経外科、耳鼻咽喉科、      泌尿器科、婦人科、歯科口腔外科、麻酔科、放射線科
特殊診療 人工透析、健康管理センター
病 床 数 一般195床、結核5床
受付時間 午前8:30〜午前11:30 午後1:30〜午後4:00
電  話 0766−82−8100(代表)
 
☆市民病院の特色
病室は4人室と個室のみで、ゆとりある広さが確保されています。
重症室を除く全病室にトイレ、洗面所を設置しています。
病棟各階に食堂を兼ねたデイルームを設置しています。
7階に眺めの良い大浴室を設置しています。
エントランスホールをゆったりと取り、自動演奏機器付きピアノを設置しています。
目にやさしい間接照明を多用しています。
省エネ対策として太陽光発電システムを設置しています。
健康管理を考え、診療棟3階に人間ドックや検診を受けるための健康管理センターを開設しました。
患者さんの待ち時間を短縮させ、サービス向上を図るため、オーダリングシステムを導入しました。
新しい病院にふさわしく、多くの高度医療機器を導入しました。「CT装置、MRI装置、血管連続撮影装置、CR(放射線画像情報)システム」
デイルーム
エントランスホール
大浴室
 
 
 
高度医療機器:
 
血管連続撮影装置
MRI装置
健康管理センター
 
 
 
 
 
 
<感想>
まだ、改築されて間もないということもあって非常に新しい特色が見うけられる。しかしながら、光市立病院にぜひともこれからの医療として、ここに上げられる多くの特色を出来る限り早く取り入れていただきたい。特に健康診断・人間ドックの充実は今後の早期課題として取り組んでいただきたいところである。また、人工透析の病室は15床あり非常に明るく、整っている。まだまだ、ここも夜間のサービスがないようであるが、必要とされている業務だけに、光市でももっと充実した内容になるよう、努力していただきたい。また、医薬分業はまだ全体の60%ということだが、今までより薬剤師の入院患者さんの薬の指導等が充実し、院外処方をすすめているとのこと。また、喫煙室は1階の入り口のみとなっており、院内の環境づくりにみんなが協力している様子がうかがわれる。
 これからの自治体病院は、確実に今まで以上に厳しくなる。そのためには、生き残るためには、もちろん院内からの充実はさることながら、自治体病院としての使命をわれわれがもっとよく理解する事も大切なのではと感じる。自治体病院だからこそ出来ない事、自治体病院だからこそ出来る事、様々な支援理解が、これからの存続を決めていくだろう。
 
 
茅野市
<沿革>
当地は遠く数千年のむかし,尖石など縄文文化の栄えた時代にはじまり、古代はこの地に大和朝廷による東山道の開通、東北えぞ征討の信濃軍団基地や、朝廷の御用馬を供給する勅旨牧として山鹿の牧がおかれた。さらに古代から中世には諏訪大社上社前宮に諏訪大祝が館(神殿)を構え、諏訪一円の祭政の中心となり、鎌倉街道も通ずるなど諏訪地方の政治・経済・交通・文化の中心地になっていた。
 降って戦国時代となり、一時諏訪氏の領有をはなれ武田氏が上原城(ちの)を拠点として諏訪地方一円を統治したが、慶長6年(1601)ふたたび諏訪氏の手に帰し、甲州街道が開かれ、金沢は宿場町となり、江戸時代260余年間には多くの新田村がうまれた。
 明治4年(1871)7月廃藩置県により高島県に属し、同年11月高島県が統合され筑摩県の管下になり明治7年には永明・宮川・金沢・玉川が、同8年には湖東・豊平・泉野・北山・米沢の各村が組織され、明治22年町村制の施行により自治行政の基礎が確立された。その後明治38年11月、中央線、富士見・岡谷間の開通をみるにいたり、これらの交通の発達とともに八ヶ岳山麓の開発もめざましく、この地方の産業文化も発展の一途をたどった。
 昭和23年永明村は町制を施行し、ちの町と改称、また昭和30年2月1日町村合併促進法に基づき1町8ヵ村が合併して茅野町を設置、昭和33年8月1日市制施行により、現在の茅野市が誕生した。
 
  茅野市では、「たくましく、やさしいまちづくり」を揚げ、行政と市民が一体となったまちづくりに取り組んでいます。「人は強くなければ生きていけない、しかし、やさしくなければ生きている価値はない。」という言葉がありますが、これは、人を自治体に置き換えてもあてはまります。元気な自治体といわれるところは、市民と行政が一体となってまちづくりに取り組んでいます。また、福祉の先進自治体といわれるところでも、医療機関、地域社会、民間団体、行政がスクラムを組んで、福祉によるまちづくりに取り組んでいます。「たくましく、やさしいまちづくり」には、市民と行政のパートナーシップが不可欠であるといえます。
 行政と民間の役割分担を明確化し、市民が主導権を握り、行政が支援するといったまちづくりによる市民参加型のプロジェクトを推進しています。
 1、福祉21茅野  2、美サイクル茅野 3、中心市街地活性化事業 4、男女共同参画これら4つのプロジェクトの中で今回の視察目的「美サイクル茅野」について・・・
 
美サイクル茅野
  
美サイクル茅野は・・・
 平成8年に設立された市民団体「美サイクル茅野」は、「美しい環境とリサイクルに向けて」を合言葉に、茅野市の環境課題について市に提言するとともに、行政とのパートナーシップにより提言の具現化を目指して積極的に活動している提言活動団体です。平成10年には9種類16分別による全市的な資源物分別収集の開始、平成11年には全国初の古紙完全循環型リサイクルネットワークを確立、そして平成12年には不用品の販売やリサイクル講座などを行う「美サイクルプラザ」を開設したほか、環境美化や環境教育にも積極的に取り組んでいます。これらの活動が認められ、平成12年には全国的な組織である「リサイクル推進協議会 会長賞」を受賞しました。
 
美サイクル茅野委員会の活動
1、生ごみリサイクルシステムの検討
 13年度から試験的に小中学校から出される生ごみを回収・堆肥化
 小中学校の給食→堆肥化工場→堆肥→学校農園→小中学校の給食
 年間50トンの処理料384万円を業者に委託している。学校農園として、今大根作  りをしている。
2、幼児用環境絵本作成開始
3、小学生用環境副読本の改定
4、美サイクルマーク運動報奨金制度
5、12年4月美サイクルプラザオープン
6、布工房リサイクル講座開講
7、広報ちのでの啓発 
 
美サイクル大作戦
 
環境先進都市を目指して
 20世紀は「経済の世紀」といわれ、確かに高度経済成長により、私たちは物質的には豊かな生活を送れるようになりました。しかし、その代償として多くの美しい自然が失われ、大量生産、大量消費、大量廃棄も進行しています。
 「環境の世紀」といわれる21世紀を迎え、私たちは廃棄物を減らし(リデュース)、使用できるものは再利用する(リュース)、そして出たものについては再利用して(リサイクル)資源を有効的に利用することにより「循環型社会」の実現を目指していくとともに、八ヶ岳連峰に象徴される茅野市の美しく豊かな自然環境を次世代へ引き継いでいかなければなりません。
 平成8年に設立された市民団体「美サイクル茅野」は、平成9年に行った市への提言に基づき、全国の他市町村に先駆けたいくつかの環境活動に取り組んできました。活動の多くは行政とのパートナーシップにより、時には行政と美サイクル茅野それぞれの主体により取り組んできました。
 平成10年には、全国に先駆けて全市的に9種類16分別による分別収集を開始し、平成11年には古紙完全循環型リサイクルネットワークを確立することにより将来にわたり安定的な古紙のリサイクルルートを確保しました。
また、平成12年4月には、提言の1つであったリサイクルプラザを開設しました。名称を「美サイクルプラザ」とし、いらなくなったものを使いたい人に提供する、そんな橋渡しをする場として、また、使わなくなった和服を再利用する「布工房」では再利用のための情報発信の場として活用しています。
 今後は、「美サイクルプラザ」がリデュースとリュースの拠点として、多くの人が集えるふれあいの場になることを期待しています。
 「美サイクル茅野」は、平成12年12月、これまでの活動と今後の課題を『環境先進都市を目指して』と題し、市に新たな提言をしました。21世紀を迎えた今、循環型社会の実現に向けた廃棄物「3R」(リデュース・リユース・リサイクル)の推進のほか、環境美化や環境教育の推進にも力を入れ、環境先進都市を目指して積極的に環境活動を展開していきたいと考えています。
 
地区・市役所・大型スーパーで資源物分別収集
 地区での資源物分別収集
収集回数(月1〜2回)収集時間、箇所数は各区・自治会の事情によって決めていただき、160ヶ所のリサイクルステーションで資源物分別収集を行っている。
市役所男子職員全員が分別指導参加。
 市役所議会棟前
市民の方はそれぞれの回収容器へ各自で入れてもらう。子どもも分別収集を通じて、物の大切さを実感
 大型店・スーパーでの協力資源物分別収集
各地区のリサイクルステーションに出しにくい方、また仕事の関係などにより区の決められた時間に出せない方のために、大型店・スーパーに協力。
大型店は「美サイクル茅野」の活動を支援する目的で指導役務補助金をお願いしている。ただし、指導役務を提供していただいた場合は免除。
現在9店舗で、第2第4土曜日の午後2時から4時まで資源物の分別収集を行っている。
 
「洗って」分別すれば資源
 16品目に分別
新聞・雑誌・ダンボール
古着
びん(無色・茶色・その他)
食用廃油
ペットボトル
トレイ
蛍光管
牛乳パック・その他のパック
アルミ缶
スチール缶
乾電池
 
生まれ変わる資源
 再生業者のストックヤード
古紙類は、各種類ごと梱包し再生業者に送られ、新聞→新聞、ダンボール・雑誌→ダンボールへ再生される。
アルミ缶はプレスされ、幾つかの工程を経て再びアルミ缶やアルミサッシ等にリサイクルされる。
ガラスびんは、色別にカレット(破砕)して、ガラスびん等の原料や路盤材などに再利用される。
 生まれ変わった資源
ペットボトルは、繊維製品(Yシャツ・トレーナー・ポロシャツ)になります。
精製された食用廃油は、塗料の原料になる。
古紙は主に新聞に再生されるが、その他の再生品の活用拡大が必要。
トレイは再生トレイに生まれ変わる。
 
読み終わった新聞がまた新しい新聞として・・・
 古紙回収完全循環型リサイクルが確保された。
市民→分別回収→茅野市→梱包→製紙会社(いわき大王製紙)→古紙100%新聞用紙→
地元新聞社→朝刊→市民
 
「美サイクルマーク運動」
 古紙再生品の利用を促進するため、「美サイクル茅野」では、リサイクル運動を始めた。子供たちがエコマークや、グリーンマークのついたリサイクル商品を使いながら、リサイクルに対する知識を深めることが目的。古紙リサイクル品に貼ってあるシールを、小学校単位で集めると報奨金がもらえる。
 
「環境副読本で学習」
 教科書のほかに副読本として身近な環境問題を考えてもらうために作成。市内9小学校に配布している。4・5年生で行う環境・ごみ問題の授業に役立っている。
 
「美サイクルプラザオープン」
 家庭での不要品を再利用していこうと、「美サイクル茅野」が運営をする、「美サイクルプラザ」がオープンした。
リサイクル品の展示・販売・提供を目的に、いらなくなった物を使いたい人に提供する。
古くなった和服を再利用する。「布工房リサイクル講座」
 
八ヶ岳の山小屋は自然と共生
<新エネルギーを活用した山小屋の汚水処理システム>
八ヶ岳の標高2,060mにある夏沢鉱泉に導入した太陽光発電パネルは48枚を山小屋の屋根に、28枚は積雪の影響を受けない壁面に設置。風力発電機は、300wの小型で発電能力の高いもの7基を屋根上に設置し、冬季の山小屋閉鎖中は容易に取り外せる機種とした。また、厳しく変化の激しい山の気象条件を考慮し、太陽光・風力からの発電が途絶えた時に備え、蓄電池を設置。これらの新エネルギーから得られる電力を、−25℃でも稼動する合併処理浄化槽の動力とし、し尿・生活排水を処理している。この浄化槽は外部に排水を出さない自己完結型のもので、処理後の水はトイレの洗浄水として再利用している。
 
<感想>
 こころの豊かさを求めることは、環境を守ること。どこの視察地にも言えることですが、とにかく市民と行政が一体となって努力している事。しかしながら、まだ光市においては、市民の意識と行政サイドの意識の格差と一緒にやっていこうというかたちが見えてきません。住民の意識が変わらないととおっしゃるが、行政も熱意と意欲を持って取り組む事を行っているのでしょうか?
 実際、茅野市でつくられている小学生用の副読本を頂いてきましたが、非常にわかりやすく出来ています。また、幼児用も作成中で、出来上がり次第送ってもらう予定です。光市で、このようなわかりやすい大切な教育がされているでしょうか?
コスト面やわずらわしさばかりを考えてしまいがちですが、今だからこそ必要なリサイクル法は何かを考える必要があります。
 理解を求める事は非常に時間と労力がかかります。今までに行った視察地、水俣市・三笠市・茅野市どこをとっても、行政サイドが熱心に市民に語りかけています。どうしたら循環型社会を作れるか、市民と行政で一緒に考えるチャンスをどんどん作っては?そして、大きなリーダーシップとして活躍する市民団体をつくるにはどうすべきか、検討していきたい課題です。