研修会メモ |
室積海岸現地見学 (海浜荘〜中松原〜室積海水浴場〜海浜荘) 2007.5.26(土) 9:30〜11:45 参加者 約200名 ・砂は戸仲へ移動している。陸からは遠ざからず横に移動する。 ・新日鉄の防波堤ができてから、島田川からの砂は室積海岸に来なくなった。 ・海岸の砂浜は変形してきており、西ノ浜は後退し戸仲は前に出てきている。 ・ここの松は花札の松のように真っ直ぐ上に伸びている。全国でもあまりない。 ・日本海は風が強く松が斜めになっているが、ここは強風がないため真っ直ぐになっている。 ・元々の砂は細かい筈で、荒い砂は人工的な砂でよそから運んできたものである。 ・川の石は丸くなり、海の石は平らな形をしている。 ・打ち上げられた砂が溜まっているところを「バーム」という。 ・波で削り取られてできた段差を「浜崖(はまがけ)」という。 ・砂が取られ見えている杭は、砂の流出防止にはあまり効果はなく侵食は防げない。 ・消波ブロックを施した海岸は、通常の砂浜がない場合民家への塩分は20倍になり、2km先まで潮が飛ぶ。 ・前松原の浜辺に近い民家は残り数メートルの所まで現在侵食されている。盛り土が砂浜より2m位の段差となっている。 ・民家までの侵食が何年で迫るか否かは即答できない。 ・砂浜の傾斜がキツイ所は海が深くなっている。海の深さで波の勢いが違ってくる。 ・残っている杭が短い所より長い所の砂浜の方が侵食の激しい場所である。 ・離岸堤の砂浜側は波が静かで砂も動かない。 ・毎年のように砂を入れてきたのは1つの良い選択である。戸仲の人達は砂が溜まり迷惑? ・水無瀬島と新日鉄の間は船が航行するため浚渫(しゅんせつ)し海底は深くなっている。 ・富山県と新潟県の海岸は離岸堤が「万里の長城」のように連なっている。 ・「温暖化による海面上昇が影響している」と言う学者は、真の原因が分かっていない場合が多い。 ・約30年前(昭和54年)に京大の土屋先生が埋め立てによって室積海岸について波が変わったと述べている。 ・同じ繰り返しがどうして起こっているのか皆さんは疑問に思っているでしょうが、誰の責任でもない。 ・砂浜は皆んなのもので国や県のものではない。市民、漁業をしている人、波打ち際に近い民家の人、海水浴に来る人など沢山の人達が納得する方法を考えなくてはならない。 ・年間4,000〜5,000m3(大型ダンプ800〜1,000台分)の砂が室積海岸を移動している。 ・過去15年間で60,000m3(年平均4,000m3)の砂を、島田川などから運んで海岸に入れてきた。 ・入れた砂は水深4m以上の沖へ流れて行くことはなく、風向きで西ノ浜か戸仲へ横に移動するだけである。 ・細かい砂は沖の方へ、粗い砂は海岸に残る。 ・戦前は島田川の砂が移動してきていたので砂浜は少しずつ前進し、今より砂浜が広かった。 ・ここの松林は大いに誇れる。これだけ良い状態に管理された松林は全国でもめずらしい。もっと自慢して良い。 ・松林の下に草が生えている所はダメ。松にとってはやせた土地ほど良い環境である。 ・竹フェンス近くの砂浜に植物(ハマヒルガオなど)が生えている所は安定している浜といえる。 ・砂は横に移動する。寄せ波で盛られた砂が引くとき取られジグザグに横に数センチづつ移動する。 ・松林で「松露(ショウロ)」を見つけた。今では幻のキノコと言われ、健全な松林にしか生えない。 ・ハワイのワイキキビーチに毎年オーストラリアから何万トンもの砂を運んでいる? ⇒ 確かに養浜している。粒子が0.15mm位の細かい砂で和歌山にも入れたことがある。1m3が2万円する。 ・台風で松が枯れるが良い対策はないのか? ⇒ 分からない。 ・遠浅の海岸にするのには細かい砂が大量にないとダメ? ⇒ 粗い砂と細かい砂の比率で決まる。 ・本に240年前6,000本の松を植えたとあったが、その松は現在でもあるのか? ⇒ 一番古いのが120年位である。 |
なぎさ研修会 室積公民館 16:00〜18:05 なぎさのしくみ 18:10〜19:15 意見交換 出席者 約200名 国、県からも出席あり ・川からの土砂は1000トン位の大水のときに海に流れるが、通常は砂は海に流れていない。 ・虹が浜は瀬が何段もあり遠浅であるが、室積海岸は急深なポケットビーチであり、入った砂は外に出ない海岸である。 ・水無瀬島と新日鉄の間の海の深さは17mあり、島田川の砂がここを越えて室積海岸に移動することはない。 ・1895年(明治28年)、1962年(昭和37年)、2004年(平成16年)の虹が浜、島田川河口、室積海岸の写真により、汀線(海岸線)の変化が示された。 ・1962年の室積海岸に1895年の島田川河口の写真を重ねた合成写真が示されたが、自然のまま今日に至っていた時の海岸が想像できた。 ・説明で使った資料(パワーポイント)は市役所の岡田課長(水産林業課)に渡しておく。 ・写真で海が白っぽい所は浅く、黒い部分は深い。深い所は波の勢いが強いため沢山の砂が取られ汀線(ていせん)が少し湾曲している。 ・大水無瀬島と小水無瀬島の間の構造物は、強風時の高波から船を守り航行しやすくするために造った。 ・日本で砂の侵食(移動)が激しい所は、遠州灘(30万m3/年)、千葉(20万m3/年)がある。比較すると室積海岸(4千m3/年)の砂の移動は小規模。 ・戸仲の港に溜まった砂を元に戻すための費用は市の予算でやるしかない。国や県は一切やらない。 ・浜の勾配は砂によって決まる。人間にはコントロールはできない。 ・砂は自分の勾配になろうとするため浜崖(はまがけ)を造るが、人間はこれを「侵食した」と言う。 ・昨年(2006.11.8)の松原、昨日(2007.5.25)の室積海岸の写真の紹介があった。 ・各地にある礫(れき)海岸と比べ、白砂青松の室積海岸の価値を分かっていない。日本で他にあまり類がないほどのすばらしい海岸である。 ・植物が生えている砂浜は安定している。ウミガメは子孫を残すため最適な場所に卵を産む。 ・小さな川の河口は砂で水が堰き止められていても、ある程度水が溜まると砂を押しのけて流れ出す。自然現象である。 ・海の中、砂浜、松林はそれぞれの区域ごとに法律があり管轄が違う。日本的な縄張り制度。 ・風の強い海岸の松林は、海側の背が低く奥の方が高くなっている。室積の松はほとんど背の高さが同じ。松林は管理されており、松露(ショウロ)がとれる良い状態である。 |
[なぎさの見方] |
・侵食された場所に砂を入れるとき、砂の質が問題になる。 ・湘南海岸、九十九里浜などの浸食や養浜(ようひん)状況の説明があった。 ・千葉では年間20億円相当の砂が移動している。予算は2〜3億円しか無く深刻である。 ・残土を入れた例、浚渫(しゅんせつ)した砂を盛り土した例、三浦半島の例など説明があった。 ・突堤(とってい)を砂の移動防止に造った千葉の例。潮の干潮が大きい海岸では景観を損なうのが欠点である。 ・細かい砂は沖へ流れる。砂浜は波に向かっていつも直角になろうとする。 ・役所の人は2〜3年で替わってしまい、地元の意向が継続されないことがある。 ・「離岸堤のドミノ倒し」の例。係長が替わるごとに1基づつ、全部で10基の離岸堤を造ったが他の場所の砂がなくなった。 ・防波堤から砂浜まで階段状のコンクリートの人口浜を造った例。短期間で下の砂が取られコンクリートは崩れた。 ・養浜(ようひん)とは、大量の砂を投入して海浜の改良と維持を図ることである。外国ではコンクリートは邪道で、サンドバイパス、サンドリサイクルで行っている。 |
[3つの具体案] |
案1.サンドサイクル 今までと同じように戸仲に溜まった砂を運んで侵食箇所に入れる。 欠点:戸仲漁港の浚渫(しゅんせつ)の予算が毎年必要となる。 |
案2.突堤+養浜 突堤(とってい)を何箇所か造り、砂の移動を防止する。 欠点:景観が少し損なわれる。 |
案3.安定汀線 安定汀線(あんていていせん)を予測し、これに平行して養浜(ようひん)する。 砂は島田川より運び、戸仲漁港を少し改善する必要がある。 ※安定汀線とは、波の影響をうけ砂浜が自然な形になりたがっている状態の海岸線のこと。 |
意見交換 Q1.景観を残したままで、砂の流出防止は本当に可能なのか。 A1.そのために今回こちらに来た。最先端の技術を後世に残すことが大事である。 Q2.海岸に砂を永遠に補充することを提言する。パイプラックを作り島田川から室積海岸へ砂を送ったらどうか。 A2.島田川の砂をもってくるのは賛成。サンドパイプで水と一緒に砂を送る方法は、砂の粒子が細かい(1mm以下)と問題ないが、こちらの砂は粗いのでパイプでは難しい。量的にダンプ運搬でよい。永遠にやる必要はなく一定量の砂を入れたら終了できる。 「今まで行政は何をしてきたのか」との意見があるが、砂の予測は今なら完璧に出来るが当時の技術では無理だった。 Q3.工場の埋め立て等で海流が変化し、砂が来なくなったのでは。 A3.海流に乗って砂は移動することはない。砂は水深4m以内の浅いとこでないと移動しない。沿岸流、海浜流。 Q4.西ノ浜に堤防を造った時に、松原あたりを埋め立てた。安全と景観を守るのは難しい。 A4.昔の海岸線を知りたいので写真があれば欲しい。 Q5.草付きが前に出てきて砂浜が減っている。クリーン作戦で草をとっているが自然まかせではだめか。 A5.皆さんで相談し、どの辺にするか線引きしたらよい。 Q6.安定汀線(あんていていせん)を出すためにどの程度のお金と時間がかかるのか。 A6.金については生臭くなるので答えられない。時間は大してかからない。 Q7.先生の案は、戸仲漁港の大改造や市民の意思統一が必要となるが、八方上手くいく案のように思う。問題は「金」ではないか。 A7.我が国で唯一の技術革新であり、霞ヶ関(国)から金を出させるのは可能。技術的には出来そう。 Q8.新日鉄・武田が20年前に埋め立てた時から砂の流れが変わったのだから、それ以前に遡らなくてもそこからコンピュータで計算すれば良いのでは。 A8.その前からの砂の流れから調べないと正確に予測できないし判断を間違う。 Q9.砂が変化しているのは、台風など高波の時だけではないのか。 A9.普通はほとんど砂は動かない。年4000m3の数字はシケのときと考えてほしい。 Q10.先生にはあまり時間がないのでは。 A10.これは仕事ではなく趣味である。5年前までは国からぼた餅を喰わしてもらっていたが今は民間人である。 1年で答えは出る。実施までには色々な調整があり時間はかかる。 Q11.NHKの海岸保全の番組で40〜50年かかるとの話を聞いた。 A11.あれは天竜川の話で、室積海岸では50年はかからない。金もそんなにかからない。ただ色々な知恵は必要となる。 Q12.西ノ浜が痩せ細った。これを島田川の砂で西ノ浜を擁護しなくてはならない。これは過去のツケである。 A12.目的のために行政も一生懸命やったが影を残した。 「あいつが悪い」と言うことで自分はスッキリするが前には進まない。大事なことは良くすることで、そのためにはガマンすること。 故郷の浜を良くするためには時間が必要。少しくらい時間がかかっても良いのではないか。 後戻りできないような失敗だけは避けたい。 |
以上 |