年表風(&少々のよもやま話)に
伊藤さん最後の1か月をまとめてみました
明治42年大磯にて(69歳)
明治42(1909)年 9月30日 高杉晋作の碑文を撰す ※有名な「発すれば雷電の如く…」という碑文です 10月 5日 息子・文吉の英国留学にあたり 「忠義の二字を忘れるな」と訓戒する 10月 7日 恩賜舘に親戚や知人を招き 母・琴子の七回忌法要を営む 10月 9日 明治天皇に拝謁し、満州遊歴のための暇乞いをする 10月11日 山県有朋を訪ね懇談 総理大臣官邸での国際新聞協会招待会に出席 10月14日 大磯を出発し満州に向かう 10月16日 下関より鉄嶺丸に乗船する 10月18日 大連到着 10月19日 大連市官民連合歓迎会に出席し、満州開発について演説する 10月20日 旅順官民歓迎会に出席し 武装の平和時代について演説する 10月22日 奉天到着 10月23日 清国の大官を招いて盛宴を行う 10月24日 撫順炭坑を巡視して奉天に戻る 10月25日 午前7時長春到着 ※この時、「萬里平原南満州…」という絶筆となった詩を詠んでいます |
長春にて(伊藤さんは左列の後ろから2番目?です) |
10月26日 午前9時ハルビン到着 ロシア国大蔵大臣ココフツエフと会見 ロシア国守備隊閲兵中、安重根の狙撃に遭い死去 ※「伝記等では、最後に『ばかな奴だ』といって亡くなった とされていますが、実際にはほぼ即死に近い状態だったので 最後に何か言ったというようなことはなかったようです」 …と、伊藤家の四代目・伊藤博雅さんからお聞きしました 10月27日 国葬を行うことが決まる 10月31日 衆議院より弔辞が贈られる 11月 1日 軍艦・秋津洲が霊柩を載せて横須賀に入る ※遺体にはホルマリン等による防腐処理が施されていました 貴族院より弔辞が贈られる 息子・文吉が特旨により男爵となる 11月 2日 霊柩が新橋駅に到着し、霊南坂の官邸に入る 11月 4日 日比谷公園内斎場で国葬が行われ 葬儀後、東京府大井町谷垂に埋葬される ※現在も、墓地付近には「伊藤町」「伊藤小学校」といった 名前が残っています |
大井町の墓地 |