第4年度    1998−1999(平成10年〜平成11年)
RI会長 ジェームスL.レイシー(米国)
テーマ ロータリーの夢を追い続けよう
第2710地区ガバナー 仁田 一也(広島東南)
      


4代会長
三浦 順郎


幹 事
太田 睦三
副会長 中石正美 会 計 坂井敏勝
SAA 加藤嘉則 ロータリー情報 安井淳二
職業分類・会員選考・会員増強 佐藤誠三
親 睦 野田泰典 出席・プログラム 八塚和弘
職業奉仕 西本武彦 広報・雑誌会報 石村哲彦
社会奉仕・新世代奉仕 小野眞嗣
国際奉仕・ロータリー財団・米山記念奨学会  秀浦信太郎
阿部政則 中元寺矩美 福永義則 原田正剛 早川伸治 桧垣公子
飯田敏治 上瀧 弘 河村 清 川岡善三 木村秀実 小林義知
小濱正秉 近藤康夫 松田 明 南 恵介 村重芳雄 村田文一郎
中村友次郎 中尾俊明 西脇万治 小野雅由 津田廣文 豊村義治
上原睦弘 梅本光紀 宇野道彦 山田和之 山縣克己 吉井昭二
  

主要行事および活動
1998年
   8月31日  交換学生バーバラ・ベッツさん(徳山東RC受入)例会招待
  10月17・18日 地区大会(於:広島市)
  12月 7日  ガーナプロジェクト報告会(ゲスト:青年海外協力隊員太田美帆さん
1999年
    2月 1日  交換派遣学生 守田光君壮行会
       13日  I・M(インターシティミーティング)(於:光市民ホール)
       24日  第3回徳山東RC・光RC合同例会(於:ホテル松原屋)
    3月12日  交換派遣学生守田光君がアルゼンチンへ出発
      17日  交換留学生バーバラ・ベッツさんのホストファミリー引受(原田正剛宅)
    5月22・23日 周南フラワーフェスティバルバザー出店
      31日  職場例会(MОVIX周南)
    6月 6日  親睦研修(門司港レトロ地区他)

RI会長賞受賞
  クラブ奉仕  1.98年5月17日、地区協議会に役員・理事9名が出席した
            2.98年10月17日、地区大会に12名が出席した(29%)
            3.次期会長が、地区の会長エレクト研修セミナーに出席した
  職業奉仕   1.クラブの全会員にロータリアンとしての職業宣言(200-JA)を贈呈する
          2.国際協力事業団の招きで来日したモンゴルの青年たちに、会員の職場で
             あるテレビコマーシャル製作現場での研修を行った
           3.青年海外協力隊員を3名例会に招待した
  社会奉仕    1.会員が家族とともに徳山市の祭りに参加、バザーを2日間開催し収益で
            地域の図書館に栞を寄贈した(29,000枚)青少年に配布
            2.アフリカ、ガーナ国における青年海外協力隊員の活動(公衆トイレ建設
            プロジェクト)を援助した
 

  国際奉仕   1.交換学生について、1名を99年3月アルゼンチンに送り出した。又ア
             メリカからの交換学生をホストとして受け入れる
           2.会員3名にベネファクターになってもらいロータリー財団へ貢献した

会 員 数     38名 (7月1日)
会員出席率    94.48%
事 業 費     収入  14,591,463円      支出  13,687,599円
 
 
              第3代会長を終えて        三浦 順郎
 
 「ロータリーにノーはない」という言葉を信ずるままに、坂井さんの後をついで第3代会長に就任しました。私個人の感覚では「つつがなく」任期を終えることができたのは、幹事の太田さんをはじめ多くの方々のご支援があったからこそと思っています。ロータリーもまた「扶け合い」の場でありました。
 任期中に忘れられないことが三つあります。
 その一は、ガーナのトイレ建設です。前任者の時代からの継続事業が、私の代に完成しただけのことであるが、提案者の原田先生の熱意と事業を成功させた多くの人々の「心」に感動しました。
 その二は、はじめての留学生の派遣と受入れでした。派遣については色々ありましたが、結局は中元寺さんのねばり強い交渉に負うことが大でありました。また、受入れについても、はじめてのことでもありかなり戸惑いましたが、結局は原田一家の献身に支えられ、無事帰国させることができました。バーバラ送別の辞のときは、会長冥利に尽きる思いでした。
 その三は、平成11年 1月27日の坂井さんのご逝去でした。まさに青天の霹靂でした。私は色々と密かに教えて頂き、「親切」なかたとの思いが強かっただけに「人生、別離に足る」との言葉を無情に感じたものでした。

難産だった守田君の留学        中元寺矩美 

 守田光君の海外派遣は「大変の連続」だった。最初に元ガバナーと徳山クラブの某氏から話が持ち込まれ
たのは、私が幹事だった平成10年春だった。
 創立2年余のクラブにとっては重荷になると思ったが、理事会で承認された時にはホッとしたが、不安も残った。
 派遣先が米国のアリゾナ州など3州のいずれかに行くことになり、7月には下松高校に休学届けを出した。ところが、
いよいよ出発の時期になっても受け入れクラブが決まらず、ガバナー事務所とやり取りが続いたが時間切れ。
 8月に高校に行き復学交渉。実質、休学を実行せずに復学ということになり、県の教育委員会とやり取りがあったり、
頭を下げっ放しで復学が認められた。
 さらに、話し合いが続き、半年遅れで派遣先がアルゼンチンに変更。スペイン語圏なので、困っているところ、
星プラザでスペイン語講座が開設されることになり、ここに入学させた。
 他の派遣学生が帰国する話が聞かれる頃の11年3月にやっと出発、インターネットでやり取りする1年がすぎて
12年2月末に無事帰国となった。
 決定から帰国まで3代のガバナーが関わるという異例の海外派遣となったが、異例であったからこそ守田君に
とっては、いい経験になったかな、と自ら慰めている。

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